「わからない」を追求するのではなく―――若者たちの言葉から考えること

 9月。子ども・若者総合相談センターへのお問合せで多くなるのは、高校1年生の保護者からの相談です。中学校はなんとか卒業。全日制の高校に進学したものの、不登校になってしまった場合、一学期末や二学期初めに、いくつかの単位が取れないと確定してきます。留年するのか、通信制高校などに転校するのか。退学して高卒認定試験を受けたり、働く道を考えたりするのか。周りの大人たちが思いめぐらせる一方で、当の本人は「こうしたい」とは言わない。どうしたらいいのか―――と相談に来られます。

 「どうして学校行けないの?」という問いかけにも、「どうしたいの?」と聞いても、返ってくるのは「うーん・・・」、「わからん」、無言、「考えてるし」。もちろん、積極的に情報収集をしている素振りもないので、周りはやきもきしながら夏休みを過ごします。

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 次の一手を考えるために、現状を確認したい。不登校になった理由があるのならそれを明らかにして、その要因を避ける選択肢を検討したい。保護者さんの理性の部分がそう考えるのは自然なことです。

 できるものならそうしたい―――。若者たちも、そう考えているかもしれません。ただ、頭ではわかっていても心も体もヘトヘトな彼ら。大人から見て十分に休んでいるように見えても、「学校に在籍していながら学校を休む」というのは休養にならない若者も多いようです。

 そんな場合には、「理由を探る」のをいったん休みませんか?とお話します。今、できていること、楽しんでいる時間、やりたいと思えていることは何か。親子の間で会話が弾むときはどんなときなのか。

(学校については何も言わないけど)推し活にお金がいるからアルバイトをしたい/(外には出たくないようだけど)家事は前よりやれるようになった/(相変わらず昼夜逆転気味だけど)リビングで過ごす時間が長くなった―――彼らの心が動いている部分に注目します。

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 「理性ではわからない理由まで、こころはちゃんと知っている」とは、ベテラン心理師さんの言葉。保護者は働いている方も多く、理性的、論理的な思考で仕事に向き合っているからこそ、「理由を追求しない」ことは苦手な方もいます。そこをなんとか。不合理で非論理的なことの中に、本人を知るきっかけがあるかもしれません。